はじめに

脱ステのススメ 2 〜まえがき〜

幼少期〜青年期

 私は、物心のついた頃からアトピー性皮膚炎(いわゆる小児アトピー)患者であり、同時に喘息持ちでもありました 

小学校低学年の頃は、スピンヘラー(インタールを吸入する器具)を手放せない毎日、夜の激しい発作で仰向けに寝るのが辛いため、壁に寄りかかった状態で座って眠り、深夜に発作が止まらず母に病院に連れて行ってもらうこともよくありました。アトピー性皮膚炎に関しては、膝裏、腕関節のアトピー症状が見られるのが嫌で、半袖、半ズボンを履くことにも大きな抵抗がありました。治療はもちろんステロイド外用剤に頼るものであったし、その治療法に対して、私も家族も何の疑問も抱くことはありませんでした 

当時(1980年〜1990年前半)はインターネットなどという便利なものは存在せず、医者から与えられる情報が全てですしかし、幸運なことにアトピーも喘息も私が小学校高学年を迎える頃には勢力の衰えを見せ始め、中学校上がる頃には私の体から完全に消え去っていました。「完治した!」と、私を含め家族全員が心から喜び、安堵しまし。しかし、完全になくなったと見せかけていた私の体内のアトピーは、長い時間をかけ力を蓄え、復活の機会を虎視眈々と狙っていたのです 

 あれは忘れもしない、高校3年生の9月。自分がアトピー性皮膚炎を患っていたことなどすっかり頭の中から消え、思う存分青春を謳歌していました。当時私は、大学受験に向けた勉強の真最中で夜遅くまで勉強に精を出していました。当時の私は夜遅い時間の方勉強が捗るいわゆる夜型人間でしたが、《より効率が良い》周りで言われていた朝方の勉強スタイルに変更し、これまで深夜一時〜七時までの睡眠時間を、二十二時〜四時に変更しました。今から思えば、 

『勉強(あるいは仕事)が捗る時間なんていうものは人それぞれで、朝方が合う人もいれば、夜の方が捗るという人もいる』 

で片付く話なのですが、18歳になったばかりの私には、テレビや学校の先生が言うことは皆に、もちろん私にも当てはまると信じて疑いませんでした。元来夜型人間の私が朝方のライフスタイルに切り替えるということは、私の想像をはるかに超える負担を、精神と肉体に与えていました 

 

青年期(アトピー症状の急変期)

初めの異変は、本当に小さなものでした。胸に小さなデキモノがポツポツとでき始めたのです。かゆみもそれほどなく、「まぁ放っておけばすぐ治るだろう」と安易に考えていました。しかし、そのデキモノは治るどころか日に日に数を増やしていくではありませんか。さすがに気になり出した私は、近所の皮膚科を訪れることにしました。そこで処方されたのはステロイド外用剤。ステロイドの強さまでは記憶していませんが、当時の皮膚の症状から考えて、恐らくそれほど強いものではなかったと推測できます 

しかし、これを塗った途端に、私の皮膚の状況は急激に悪化しだしました。それは数年ぶりに使ったステロイド外用剤が火付けとなったのか、それとも加熱しすぎて鍋から溢れ出る吹きこぼれのように、力を蓄え続けたアトピーが、生活習慣の変化による肉体、精神的なストレスを契機に、皮膚へと爆発的に現れたのかはわかりませんが、ほんの数ヶ月の間で、私の身体はアトピーに支配されてしまったのです 

とにかく全身が痒くてたまらない。眠っている間も無意識に身体をかきむしり、朝起きると布団は血まみれ、まぶたが浸出液で固まり、なかなか開けることができない。額の髪の生え際からは浸出液が流れ落ち、髪の毛も数十本がまとめて抜け落ちる。シャワーの最中にふやけた頬をかいた時は、まるで獣に引っかかれたように3本の爪跡がくっきりと刻まれたこともありました。もちろん、ぐっすりと眠れたことなんかなく、私の精神と肉体はあっという間にボロボロになりました 

この時期、私はアトピー治療に定評のある大阪府立羽曳野病院(現大阪羽曳野医療センター)に通院していたのですが、処方される薬(主にステロイド外用剤)では私の病状は良くなるどころか悪化の一途を辿りましたそのような状態のため、思春期の私は周りの目が怖くなり、外に出ることが嫌になりました。あの頃は今思い出しても本当に辛かったですが、私の病状を目の当たりしながらも、見守ることしかできない母が、私よりも辛そうにしていたのを鮮明に覚えています『親思う心にまさる親心』と、かの吉田松陰が詠んでおりますがも人の親となり、あの時の母の気持ちが今になってよくわかります 

 

青年期(土佐清水病院への入院)

 

 そんな大学入試の全日程を終えた私は、その翌日、アトピー治療では全国的に有名だった丹羽耕三先生が院長を務める、土佐清水病院へ入院しました。丹羽先生は、アトピーの主要因は「活性酸素(活性酸素+脂質=過酸化脂質)」であると主張されており、土佐清水病院では、以下の治療が実践されました

 

①独自処方のステロイド外用剤 

②過酸化脂質を除去することを目的とする独自処方の「SOD様食品」、アレルギー改善を目的とする独自処方の粉末茶「ルイボスTX」の内服 

③食事制限。肉、乳製品、チョコレートなどの動物性脂肪を摂取しない。 

④ダイオキシンなどの有害物質を体外へ排出するための「サンドバス入浴療法」 

 

入院初日、文字通り頭からつま先までたっぷりとステロイド軟膏を塗布され、ミイラのとく全身包帯ぐるぐる巻き。包帯の箇所は徐々に減っていきましたが、とにかく軟膏を全身にたっぷりと塗られたのを覚えています。入院期間は約2週間でしたが、私の体の症状は、その間に劇的に回復しまし土佐清水病院は自由診療(健康保険が適用されず、全額自己負担)のため、2週間程度の入院でも数十万円の費用がかかったのを覚えています 

 

青年期〜成人期  

その後すぐ、進学による北海道での一人暮らしが始まるのですが、あの時の地獄を二度と味わいたくなかった私は、丹羽診療所で処方される外用剤(前述①)と内服薬(前述②を使い続けました。保険のきかない薬代は決して安くありませんでしたが、背に腹はかえられないとはまさにこのこと。しかし、前述③の食事制限に関しては、退院早々にギブアップしました。考えてもみて下さい。20歳前後の肉体的に最盛期を迎える若者(大学では柔道部に在籍)に、牛、豚、羊、鳥いった肉類パン、卵、バター、チーズ、アイスクリームにチョコレート、ラーメン等々。これらのものを避けて通れといっても流石に無理があるでしょう(北海道に来てラーメン、ジンギスカンを食べずに何を食べろと言うだ!)。 

しかし、食事制限など気にせず、好きなものを食べ続けたのですが(お金などない一人暮らしの大学生男子の食生活を想像して下さい。そう!そんな食生活です私の身体は回復の一途を辿りましたこれに調子付いた私は、内服薬(前述②)を飲む頻度も減らし、服薬から1年経つか経たないかと言う時期に、完全に飲むのを止めました。この頃、ステロイド外用剤を手放すことはもちろんできませんでしたが、私は一見してアトピーを患っているとは思われないほどに回復していました(実際は、強いステロイド外用剤によって皮膚の内面に押さえ込まれていただけに過ぎなかったのですが)。  

土佐清水病院では、外用剤は全身にしっかり塗るよう指示され、退院後1年ぐらいは言われた通りにしていましたが、症状が安定してきてからは、痒さをあまり感じない部位には塗らないようにしまし私の場合は主に下半身(太腿やスネの辺り)に痒みを感じることが少なかったので、3日に一回ぐらいしか塗らなくても大丈夫でした。上半身も見た目には綺麗だったので同じようにしたかったのですが、2〜3日経つとかなりの痒みが出て来ていたので、ほぼ毎日塗り続けましステロイドの強度は、普段使いのものは比較的弱めのものを使用し、症状がひどくなって来たときは、強いもので一旦症状を落ち着かせてから、徐々に弱くしていくという方法をとっていました。 

顔に関しては退院後、半年ぐらいは薬の強度を弱めながら塗り続けることにより、浸出液や傷跡もなくなり、外出することに対してなんの抵抗もないほど改善していました。しかし、気になったのは、一向に引かない赤みです。ステロイドを塗り続けることによって、全体的に皮膚が薄くなっている実感はあったのですが、首と顔に関しては特にその兆候を顕著に感じていました。そのことから、 

 

・ステロイド外用剤を塗り続けると、皮膚が薄くなる 

         ↓ 

・顔や首の皮膚は、腕や足などと比べると元々薄く、ステロイド副作用の影響をより強く受ける 

         ↓ 

・顔の赤みをやわらげるには、その影響を色濃く受ける顔と首に関しては、ステロイドの使用をやめなければならない 

 

と結論づけ、症状が悪化したとき以外は、ワセリンだけを塗るようにしました。 

なぜ病院で指示された通りに、全身に毎日しっかりと塗り続けるのを止めたのか。理由は二つあります。一つは、高額な薬をなるべく長持ちさせたかったこと。二つ目は、先に挙げたように、ステロイドを利用し続けることによって顕著になってきた副作用に対して、「このままで良いのだろうか」という疑問を抱き始めたからです 

 

「私はこの先、いつかアトピー性皮膚炎の特効薬が開発されることを夢見ながら、何十年と薬を塗り続けなければならないのだろうか。・・・恐らくそうするしかない。大人になって発症するアトピーは、恐らく一生治らないと言われたし・・・」 

もしそうなら、塗らなくてはいけない部分が少ないに越したことはないし、医療費の負担も少なくしたい症状は一見してわからないほどに落ち着いていました。であるなら、別にそんな高価で特別な薬ではなくても、入院時から8年経った今、保険が適用されるステロイド外用剤や治療法も進化しているであろうし、とりあえず《薬を塗る》という行為を怠らなければ、昔のように悪化することはないであろうと判断しました。 

 

大阪はびきの医療センター通院期

 

26歳になり、北海道から大阪に帰って来た私は、これを契機に思い切ってステロイド外用剤を切り替える決心をし、再び大阪羽曳野医療センターを受診しました。大阪羽曳野医療センターは、日本皮膚科学会専門医で、現在の日本におけるアトピー性皮膚炎治療のスタンダードともいえる、『日本皮膚科学会アトピー性皮膚炎診療ガイドライン』作成委員会のメンバーでもある片岡葉子医師が主任部長を務める病院です。時事通信社が運営する医療情報サイト『時事メディカル』では、以下のように紹介されております 

 

アトピー性皮膚炎患者が年間3500人程訪れる、全国でも有数のアレルギー専門施設に15年以上勤務。1990年代のステロイド忌避全盛時代には、不登校やうつ病の合併などアトピー性皮膚炎がQOLに大きな影響を与えることを指摘し、診療と並行して患者の経過を振り返る臨床研究をしながら、最善のアトピー性皮膚炎治療を追求。皮膚の炎症活動性を示す血液検査TARCを治療効果の判定に応用し、早期の症状の改善、寛解維持、その後の外用薬の漸減を指導するなど患者教育にも力を入れている】 

 

片岡医師は1999年から同病院の皮膚科部長を務め、私が再び訪れた2006年の4月には、主任部長に就任されていましたいわゆる、アトピー治療では大阪府内でも指折りの大病院ですそこでの診察で処方されたのは、以下3種類の外用剤でした。 

 

①顔には『プロトピック』。使用による火照りやヒリヒリ感が気になる場合は、ワセリンで薄めて使用 

②フケとかゆみが気になる頭皮には、『リンデロン ローション』 

③全身には、『A−2』と呼ばれる、『アドコルチン軟膏』と『アズノール軟膏』を1の割合で混ぜ合わせたステロイド外用剤 

 

 ご存知の方も多いかと思われるます、ステロイドには強度があり、最も強力な1群から、弱めの5群の5段階にランク付けされており、通常患者の状態に合った強度のステロイド外用剤が処方されます。ご自分や家族の方が使用しているステロイド外用剤のランクをご存知でないという方は、第2章にステロイドの強度ランクをまとめた表を載せておりますので、ご確認いただければと思います。 

 私が当時処方された『アドコルチン』は現在製造中止となっておりますが、ステロイド強度は2群の『とても強い』、『リンデロンV』は3群の『強い』にランクされていました。もちろん、当時はステロイドに強度があるなんてことはつゆ知らず、言われた通りに使用していました。しばらくして『アドコルチン』が製造中止となり、『ボアラ軟膏』がそれに取って代わりました。 

幸いなことに、外用剤の変更による目立った変化はありませんでした。時折症状が悪化し、一時的によりステロイドランクの強いものに切り替えることもありましたが、私が予想した通り、薬さえ塗っていれば日常生活に特に支障をきたすこともありませんでした。 

 しかし、プロトピックに関しては、少し使用してみたのですが、私にはどうも合いませんでしたそれを使用することによってひどくなるというようなことはなかったのですが、塗った時に生じる火照りがどうにも気持ち悪くて、医師には「塗り続けると慣れてくるよ」と言われたのですが、どうしても続けることができませんでした。当時顔の症状は皮膚の薄さと赤みが気になると程度でしたので、ワセリンを塗っているだけで特に問題はありませんでした。医師からも「まぁ嫌なら無理して使うことないよ」と言われ、プロトピックの使用は中止となりました。 

 

 羽曳野医療センターには、2ヶ月に1回の間隔で通っていましたが、1年、2年と経つうちに3ヶ月に1回、3年目には4ヶ月に1回ぐらいの頻度となっていました。羽曳野医療センターは、片岡医師の力なのかアトピー治療で名が通っており、予約をしていても何時間も待つことはザラでした。にもかかわらず、毎回同じ薬を処方されるだけ。そんな中、通い出して4年ぐらいたったころ、担当の医師からこう言われました。 

 

「長い時間診察を待つのも大変でしょ?うちで処方している薬は、どこの調剤薬局でも手に入るものだから、わざわざうちに来なくても、近所の空いている病院で処方せん書いてもらった方がスムーズなんじゃない?病状も安定してるし、自分の症状に合わせて塗る薬もわかってるだろうから、そうしてみる?」 

 

 と勧められたのです。今から考えると「とんでもないこと言うな」と思いますが、毎回長い時間待って同じ薬を処方されるだけでしたので、心当たりの町医者がいることと、薬さえもらえればいいという私の利害が一致し、そうすることとなったのです。 

 それからは、近所の町医者で『ボアラとアズノールを混合した外用剤』と頭皮用の『リンデロンVローション』を処方してもらうという生活が続きました。そんな生活が4年間ほど続いた頃、待望の子供が生まれ、ついに私も人の親となりました。 

 

ステロイド治療に対する疑問

 

 

家族が1人増え、その生活は思っていたよりもはるかに幸せなものでしたが、子供を抱っこすると言うこれまた何物にも変えがたい時間が、私の頭の中に一つの疑問を投げかけたのです。 

 

「こんなにステロイドをベタベタに塗った腕で、この子を抱いても大丈夫なのか?これだと、この子に薬を塗っているのと同じになるじゃないのか?ステロイドに副作用があることは身をもって感じているが成人の皮膚に対する影響と乳幼児の肌に対する影響には大きな違いがあるのではないか?ってゆうかそもそもステロイドってなんだ!?」 

 

 私は愕然としました。ステロイドについて、もう何十年と塗り続けている薬について何も知らないのです。医者に言われた通り処方された薬を塗り続けさえすれば、見た目にもそんなにひどくはない。夜中も痒くて目がさめるなんてこともない。特に支障もなく日常生活を送ることができるだ。それなら別に、薬を塗るぐらい大した労力ではないじゃないか。と、完全なる思考停止状態に陥っていました。そんな思考停止状態を、生まれて間もない娘が壊してくれたのです。 

ステロイドを塗り続けたことによって、確実に皮膚は薄くなっているし、顔をはじめ、体全体も赤みがかっている。赤ちゃんの皮膚が私より強いなんてことはあり得ないし、私が塗っている薬が娘の肌についても大丈夫なのか?幼児にステロイド外用剤を塗る副作用のリスクにはどんなものがあるだ?そもそも、私も今後一生ステロイドに頼り続けて生きていくという人生で本当にいいのか?いや、良くないに決まっている! 

 

 そしてようやく私は家族、そして自分自身のため脱ステロイドを行う決心をしました

その第1歩として、まず私が解決しないといけない問題は何か。それは、現状を知ること。まず『ステロイドとは何か』、これに対する答え、知識を身につけ、自分の現在の病状をしっかりと把握しなければならない。そう確信し、私の脱ステロイド治療は始まりました 

 

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